一 けぶる白
そう、あの夜から。目を閉じるのは、好きじゃない。たとえ、それが瞬きひとつの間だとしても、だ。
「つ……」
「どうした。ジェイド?」
透明なレンズの向こうには銀色の髪が歪まずに揺れている。眼鏡のふちが日の光に跳ね返って、眩しい。……目が痛い。
「……すみません、ちょっと頭痛がね」
「珍しいな、お前がか?」
「私だって体調の悪い時ぐらいありますよ」
そう言いながら、チカチカと反射するプリズム光をうざったく見つめた。
「たぶん原因はこれですね。……いい加減、あつらえ直さないといけません」
「ああ、眼鏡か。……度が合っていないんじゃないのか」
「それは、最初からそうなんですけどね」
「……?」
蒼いふたつの目がわからない、という風に歪む。それはそうだろう。わからないように話しているのだから。
「……外したらどうだ。頭痛の種が眼鏡なら。それとも、何か弊害があるのか」
「そりゃあ、眼鏡なんですから、見えにくくなってしまいますよ。……私、こっちの目がかなり悪いのでね。昔、事故に遭いましたので」
「事故?」
「だから、外すと……プラチナ様の顔はこれくらい近づけないと、見えなかったりして」
「!」
ほんの一瞬、鼻が触れそうなくらいに近づける。ほんの、一瞬で終わらせるのだが。
「お前、本当にそういう冗談はよせ!」
「はは、すいません。……いてて」
ちりりと焼け付くような痛みが頭の隅で鳴った。激痛というほどでもない。けれど、気にしないほどの痛みでもない。
「外せ。全く見えないわけではないのだろう」
「……それはそうなんですけどね」
眼鏡を外すと、世界は途端に寝ぼけたような、白い霞に覆われる。
——まるで、あの雲の中にいるみたいに。忘れたくない、でも今は忘れかけている場所を思い出す。
(……最近、多いな。こんなことを考えるのが)
「……おい、ジェイド?」
「はい、なんでしょう。プラチナ様」
「お前、眼鏡ずっと取ってた方がいいんじゃないか」
「どうしてですか?」
「いや、その方が……険がなくなったように見えるのでな」
「私が、これ以上なごやかになってどうするんです? 今でも優しすぎて大変なのに」
「……お前な……」
呆れたような、その声が響く。霞の中に揺れる、薄ぼんやりとした何かが囁く。懐かしい場所にいるように ——そう思って呆れた。
「ジェイド?」
「聞こえていますよ、プラチナ様。……そう何度も呼ばずとも」
ばからしい。
これは夢ではなく現実だ。頬を撫でる風も、耳に囁く木々の葉擦れも。目を閉じればあの場所になるわけではない。目覚めればいつもここにいる。
(……そう、どんなに似ていたとしても、ここは……違うんだ)
「……痛むなら、外していればいいものを……」
「すぐに治りますよ。全く見えないわけではありませんしね。……あ、それともつけていない方が、私、男前ですか。プラチナ様のお好みなら、そのように致しますが」
「……勝手に言ってろ」
微かな溜め息が、会話の終わりを告げる。たぶん、彼はこう思っている。
(心配して損した、ってところかな)
けれど、きっとその方がいい。せめても、そう思っている方が痛みはきっと少ないのだから。……いつか来る、その日のためには。
(……なんてね。あいつみたいなこと考えてるな。……ばからし)
度の合わないレンズをあつらえたのは、今は敵でいるかつての同胞。いつだって気の合わない、黒髪のあの男だ。
自分の守る白銀の王子は、少しサフィルスに似ている。外見や性格ではなく、自分に与えるあの気持ちが、だ。
——また、端の方で痛みが走る。
優しくするだけが何かを救う方法じゃないと、彼は痛いほど知ったはずではなかったか。
あの、夜を覚えているならば。