○港。セピア処理。
港で、きょろきょろしていたおじいさんに声をかけた。
細くて固そうな杖を荒々しくついて、ぎろりと目線を右左、そそくさと周りの人は怯えて、逃げていく。
——それを見つけた時は、実はちょっとだけ……。
踏み出した足を止めようかなって思ったけど、勇気を出した。
だって、それが私だもの。
どこでも、故郷の村にいた時と同じように生きる。
それは実はとっても難しい事だって、最近の私は思い知っているんだけど。
だからこそ、頑張ってみるんだ。
決意しながら、確かめながら、生きていく。深呼吸。
【マリン】「どこかをお探しですか? 道なら、ちょっとわかりますけど」
一息でそう声をかけると、おじいさんはびっくりした顔で振り向いて。
【老人】「あんた、ワシみたいないかつい奴に、よう話かけるなあ」
——と、にっこり笑った。
道案内のお礼は、腕に抱えきれないくらいのリンゴの山。
いい匂い。
村にいたならご近所さんと分け合うのだけど、残念ながら今の私はひとり暮らしみたいなもの。けど、ひとりでは絶対食べられない量。
だとしたら、このリンゴの使い道はたったひとつ。
【マリン】「よーし、すごーくおいしい、アップルパイにしようっと♪」
それもまた、私にとっては重大な、とっても大切な決意なのだった。
私が私のままでいるために。
○暗転。
【プルート】「あの……マリンさん……一体これは」
【ソロイ】「……どういうつもりですか?」
【マリン】「どういうつもりって……見ればわかると思うんですけど……」
○一枚絵 マリンのアップルパイ。
【マリン】「じゃーん、アップルパイでーーす!」
【ソロイ】「それは見ればわかります」
【マリン】「あう」
【ソロイ】「私たちが言いたいのは、なぜ執務室にこんなモノが置いてあるということです」
【マリン】「そ、それは……おいしくできたから、差し入れに持ってきたんですけど……ダメでした?」
【ソロイ】「……」
【プルート】「ま、まあまあソロイ。マリンさんはこちらに来てそんなに経っていないんですから……。説明しないとわからないことですよ」
【マリン】「あの……もしかして、プルート様ってリンゴお嫌いでした……?」
【プルート】「……いえ、大好きですよ。でも、その……。私が食べ物を口に入れるには、料理長とソロイの判断が必要なので」
【マリン】「へ? あ、味見ってことですか」
【ソロイ】「毒味です。得体の知れないものを入れられて、プルート様に何かあっては困る」
【マリン】「……!」
【プルート】「まあ、ありていに言えばそういうことなんです」
【マリン】「……あの、それって。私が毒を入れるような人間に見えるってことなんでしょうか」
【プルート】「い、いえ! そういうことではないんです。……そういうことじゃないんですよ……」
【ソロイ】「そういうことです、マリン殿」
【プルート】「ソロイ!」
【ソロイ】「……言葉を飾っても意味がありません。プルート様」
【プルート】「そうかもしれませんけど……」
【マリン】「……」
【ソロイ】「……」
【プルート】「マリンさん……その……」
【マリン】「……そっか、星読み様って大変なんですね。食べたいものも、好きに食べられないなんて……」
【プルート】「……それも仕事ですから。本当にごめんなさい」
【マリン】「いえ、いいんです。大丈夫です。星読み様がいなくなったら、みんなが困るの、私もわかりますから」
【プルート】「……」
【マリン】「それじゃ、これは持っていきます。すみませんでした」
【プルート】「あ、マリンさん」
【マリン】「はい?」
【プルート】「あの……とても、おいしそうですね。残念です」
【マリン】「……ありがとうございます!」
○足音と共に扉が閉まる音。
【プルート】「……ふう」
【ソロイ】「……さ、執務に戻りましょう」
【プルート】「……ソロイ、毒なんて入ってないよ。わかっているでしょう。ただの好意だ」
【ソロイ】「……例外はありませんから。何故かはおわかりでしょう」
【プルート】「規律が乱れる。そうすれば危険も増える。……わかっています。……でも、嫌だな」
【ソロイ】「……」
【プルート】「こういうのは、とても嫌です」
【ソロイ】「……そうですね。プルート様はリンゴはお好きですから」
【プルート】「そういう意味じゃないですよ。……はあ、仕事、しましょう」
【ソロイ】「はい」
○どたたたと、足音。
【プルート】「……ん?」
【ソロイ】「騒がしいですね」
【プルート】「何か伝令かもしれませんね」
【ソロイ】「……まったく、もう少し冷静に事を運べないものか。執務の静寂を守るのも大事な……」
○ドアの開く音。
【マリン】「……お待たせしました!」
【ソロイ】「……!」
【プルート】「……!」
○一枚絵 マリンのアップルパイ。
【マリン】「料理長さんに食べて頂きました! 後はソロイさんだけです!」
【ソロイ】「……マリン殿」
【プルート】「……わざわざ、料理長のところまで持っていったんですか」
【マリン】「はい! お休みでしたが、起きて頂きました! 寝起きにアップルパイはきつい、とおっしゃっていました!」
【ソロイ】「……それはそうでしょうね」
【マリン】「でも、ちゃんと生きてました。ソロイさん、食べて下さいね。次が待ってますから!」
【ソロイ】「……」
【プルート】「……ぷっ……あはは!」
【マリン】「……は?」
【プルート】「い、いいじゃないですか。ソロイ。確かに、規則は守っている。手順を踏めば、私の口に入れることは許されます」
【ソロイ】「ですが」
【プルート】「命令です。私はそれが食べたい。だから、毒味なさい」
【マリン】「プルート様……」
【ソロイ】「……了解致しました」
【マリン】「……」
【ソロイ】「……」
【マリン】「あの〜……そんな小さいカケラじゃ、毒味にならないと思うんですけど」
【ソロイ】「……っ」
【マリン】「……あのっ、まずくないですよ? 料理長さんにも、朝に食べるのはきついけど、味は良いってほめてもらいましたから」
【マリン】「これでも、お料理は得意なんです、はい!」
【ソロイ】「そ、そうですか……では、頂きます」
【マリン】「はい、どうぞ!」
【ソロイ】「……っ。げほっ」
【マリン】「きゃっ! ソロイさん!」
【ソロイ】「〜〜〜」
【マリン】「どどどどどど、どうしよう! 口を押さえちゃって……。わ、私の知らない間に毒が入ったんでしょうか? きゃあ〜、せ、せせせ、先生を、お医者さんを〜!」
【プルート】「その必要はありませんよ。単に、ソロイは甘いものが苦手なだけなんですから」
【マリン】「へ……?」
【ソロイ】「……飲み物を」
【マリン】「はい? ははは、はい! 紅茶!」
【ソロイ】「……! げほっ! げほっ!」
【マリン】「きゃーーー、ごめんなさーーい! 熱かったーーー!?」
【プルート】「あはは、大丈夫ですかソロイ。困りましたねえ、お前は猫舌で」
【マリン】「……はわわ、そ、そうだったんですか」
【プルート】「そうなんですよ。結構、毒味に向いてないんですよねえ」
【ソロイ】「……失礼致しました」
【プルート】「はい、生きてますね。それじゃ、私も食べていいかな」
【マリン】「……いいですか?」
【ソロイ】「……」
【プルート】「ソロイ」
【ソロイ】「……結構です」
【プルート】「はい、わかりました」
【マリン】「わ……や、やったーーー!」
【ソロイ】「……」
【マリン】「わっ……すす、すみません。大声……」
【プルート】「せっかくですから、とっておきのお茶の葉も出しましょうか。マリンさんもいかがですか?」
【マリン】「へ……い、いいんですか? お仕事中なのに」
【プルート】「もうすぐ三時です。お茶の時間にしてもいいでしょう。最近、私も働き者ですからね。それなりのご褒美があってもいい頃ですよ、ね。ソロイ」
【ソロイ】「……わかりました。ご用意致します」
【マリン】「あ、ありがとうございます」
【ソロイ】「……別に、あなたのためではありません」
【プルート】「……負け惜しみ」
【ソロイ】「……」
【プルート】「いえいえ、ただの独り言ですよ。ふふ、紅茶は熱くして下さいね。私は温いの、嫌いですから」
【ソロイ】「……了解致しました」
○ドアを閉める音。
【マリン】「は、はうう……ソロイさんは怒ったんでしょうか。嫌いなものを食べさせちゃいました……」
【プルート】「気にしないで下さい、おあいこですよ。さっき、マリンさんに意地悪したんですから。たまにはいい薬です」
【マリン】「は、はあ。意地悪ですか?」
【プルート】「ええ、意地悪です。私にもね。私がアップルパイ好きなの、知っているくせに」
【マリン】「あはは、わかりました。そう思っておきます」
【プルート】「……あなたは、強いですね」
【マリン】「は、はい?」
【プルート】「……私にはできない。あなたのようには、たぶん」
【マリン】「……プルート様」
【プルート】「……それじゃ、先に一切れ頂こうかな」
【マリン】「は、はい。結構、上手にできました!」
【プルート】「そうですか……では、大事に頂きます」
【マリン】「はい、どうぞ!」
○暗転。
そうして、プルート様はおいしそうにパイを食べた。
ソロイさんも顔をしかめながらつきあってくれた。
「もう少し甘みを抑えた方が」とかなんとか、注文もつけられた。
頂いた熱い紅茶は、とてもいい匂い。
大陸でもあんまり採れない、貴重な葉っぱだって仰った。
だから、年に数回しか飲まないって。
——お金持ちの星読み様でも、そういう楽しみ方をするんだなって思うと、ちょっと嬉しくなった。
午後四時きっかりで、お茶会は終わる。
ふたりはとても忙しいから。
けど、その一時間だけは、お仕事のお話は一度も触れられなかった。
アロランディアのどこが楽しいとか、綺麗だとか、外国の珍しいお話、私の村のこと。……そんなお話ばかりをした。
(大変だな)
私はバカだから、あんまり政治の事はわからないけど。
(……本当のふたりは、こうなのに)
——一杯秘密を抱えなくちゃいけない。
(……きっとみんな、知らないだけなのに)
——だから、私は。
○港。セピア。
【老人】「ありがとう、お嬢さん。おかげで助かったよ。これはお礼だ」
【マリン】「え、お礼なんて……道案内くらいで、何も頂けません」
【老人】「はは、恐縮するほどのモンじゃないよ。うちで扱ってる品なんだ。アロランディアは今、頻繁に船が入れないから、そうイイ物じゃないが……」
【マリン】「あ、りんご! わ〜、おいしそう〜」
【老人】「持っていきなさい。ワシがいる時なら他のも割引するよ」
【マリン】「あ、ありがとうございます! でも、いいんですか? 店員さんに怒られたりは……?」
【老人】「はは、ワシの店だから、言ってきたら一喝するだけさね。それに、嬉しかったからね」
【老人】「ここ最近、キナくさいことはかりこの島じゃ聞くから、安心したよ。あんたみたいな子がいるなら、まだ期待してもエエかな」
【マリン】「きなくさい……ことですか?」
【老人】「ああ、船旅をしていると、色々なことが聞こえて、見えてくるもんさ。……あんたもいつか、外に出ればわかるよ」
【マリン】「……」
【老人】「だから、今回の商いで終わりにしようと思ってたんだ。けど、また来るよ」
【マリン】「……おじいさん」
【老人】「次に入れるのは、星読み様の勅令が解けてからだけどな。その頃には、この島がもう少し、前のように前向きになっとる事を祈るよ」
【マリン】「アロランディアは前向きじゃないでしょうか?」
【老人】「さてね。ただ、このままじゃ、いつか終わるよ。ワシは商売しとるからね。そういう風はわかるんだ。星の娘探しを始めたあたりから、この島には変な風が吹いとる」
【マリン】「……」
【老人】「もしも、逃げる時にはワシはあんたを一番に船に乗せてやるよ。覚えておいてな、この店の旗」
【マリン】「……はい、ありがとうございます。でも」
【老人】「うん?」
【マリン】「おじいさんの船に乗るときは、観光がいいです。……いつか外の国へは行ってみたいけど、私の故郷はここになるはずだから」
【老人】「……そうか」
【マリン】「また会えるときには、きっといい風、吹いてますよ」
【老人】「はは、星読み様みたいな口をきく。期待してるよ」
【マリン】「はい、ばっちりまかして下さい!」
【老人】「ん……? あんた、その右手……」
【マリン】「……! わわ、し、失礼しまーーす! あ、ありがとうございました、リンゴ!」
【老人】「あ、おーーい!」
○暗転。潮騒の音。
——だから、私はここにいる。
道を確かめ、歩き、目指す。
あの日見た美しい星、めがけて走ったあのドキドキを。
今もきっと、持ち続けている。
(……ほら、ブルーさん。私はここですよ)
海を眺め、約束を思い出す。
どうか光っていますように。
私のこころ。
あの日と同じに。