02-a 君を捜しに
○選択肢 探しに行く
(どこかで迷ったのかな)
あり得ない話じゃない。
むしろ、そう考えてしまうと、それしかないように思えた。
昔、東京に住んでいたとはいえ、僕たちはまだその頃、子どもに過ぎた。
だから遠出といったらせいぜい隣町のCD屋まで、という感じで、渋谷だなんて考えたことすらない。
ある意味、僕たちはとても純粋培養に育てられた。
僕は寄り道なんてけしてしなかったし、八重もそうだった。
そう、彼女は頑なに、家と学校を規則正しく往復していたのだった。
……あんな目に遭うとわかっていながら。
……頭を振って、映像を振り払う。
今はそんなことに気を取られている場合じゃない。
捜さなければ。今すぐ見つけてあげなければ。
きっと待っているから。
【七緒】「探しにいかないと」
そうして、僕は足早にハチ公前を後にした。
人波をかき分け、とりあえずセンター街の方向へ歩き出す。
細い路地の入り組むこの繁華街は、いつも若者の熱気で満ちている。
少しキョロキョロと辺りを見渡して、すぐさま絶望した。
(しまった、僕もそんなに渋谷に詳しくないんだった)
引っ越ししてきて、そんなには経っていない。
ある程度の土地勘はあるとはいえ、ひとつ裏路地に入るととたんに方向感覚を見失う。
それに、八重を見つけるといっても自分には手がかりがひとつもない。
そう、僕はあやふやな確信しか持たずにここへ来た。
だから、今の八重の身体的特徴とか、着ている服だとか、目印になる持ち物だとか、そういう情報をまったく持ち合わせていないのだった。
記憶に残るのはまだ、あの日別れたときのままの八重。
要するに十歳のままで。
【七緒】「うわ、すごく自信なくなってきた。……僕がこんなんじゃ、へたしたら向こうはもっと……」
そう。あの時八重は僕の顔さえ見ていたかどうか。
まるで興味がない……むしろ存在などしないかのように、彼女は僕の方向を見つめていた。
○プロローグの風景、再構成。モノクロカラー。子ども八重表示。(←ナナオに変更)
手紙に写真はいくつか添えたけど、僕はそもそも写真写りに自信がない。
……写真が真実を写すだなんて、嘘だなってつくづく最近の僕は思っている。
○暗転。
五年。
心も身体もずいぶん変わった。
痩せ過ぎだ、と中学の頃にからかわれていた腕は、今はしっかりと筋肉がつき、白かった肌もずいぶん日に焼けた。
僕は文系人間だったけど、高校に入ってからはとにかくお金が欲しくて、体力のいるバイトをよくした。
いわゆる土木工事とか、建築現場だ。
体はきつくて仕方なかったけど、ただ何も考えずに作業をして、汗を流して真っ白になるのは楽しかった。
そのうち理解のあるバイト先が見つかって、事務の仕事を覚えてからは、そんなバイトもしなくなったけれど……。
手には潰れたマメの残骸がまだくっきりと残っている。
……そんな僕の変わり様を、彼女は果たして想像しているだろうか。
……僕ですら想像できなかったのに。
○復帰 渋谷の街七緒表示
(無理かも)
トホホ、と肩をうなだれた。
よく考えなくても、無理めな要素が多すぎる。
焦って待ち合わせ場所から離れてしまったことを後悔した。
今思えば、あの場所は唯一僕と八重が共通に認識している場所だった。
この広く人の多い渋谷で、たったひとりの顔も知らない誰かを捜すなんて、そもそも海の中から落とした指輪を拾い上げるのと同じくらい、不可能だ。
(戻ってみようかな)
……むしろそれしかないように思えた。
一度思い直すと、もうそれしか答えはない気がしてくる。
まだ離れて間もない。
きっとまだ、間に合うはずだ。
【七緒】「よしっ、さっと走って、待ち合わせ場所に……」
七緒、スリに遭う
○暗転。
○画面揺れる。ぶつかる音。
【七緒】「わっ」
○復帰
ぐるりと勢いよく振り返った。もちろん周りのことなんて考えてない。
相手もそうなら、結果はもちろん、明白。
【七緒】「ご、ごめんなさい。怪我は…………って、あれ?」
思わず条件反射で謝った。けれど、ぶつかったはずの相手はもういない。
颯爽と町中を走り去っていく。
【七緒】「なんだあれ……失礼な奴」
渋谷でああいう奴は珍しくないとはいえ、一言すらもないとは。
世も末だと独りごちて見送り、視線を前に戻そうとした、その時。
【チンピラ】「ぎゃああああ!」
いきなり彼方の男が悲鳴をあげた。
【七緒】「えっ」
僕は焦って、振り返る。
○サスペンス調
(もしかして僕のせいか?)
そう思ってしまうくらい、絶妙なタイミングだった。
悲鳴の後にはどすん、と鈍い音が響き、辺りを一気に黒い人垣が囲んでいく。
【七緒】「あの、すいません、ちょっと」
一斉に野次馬が集まってくる中をかき分けていく。
人の作る円の中心に倒れる男の足が見える。
何があったのか。戸惑いが不安に変わっていく。
人が倒れるっていうのは尋常なことじゃないのだから、助けられるなら助けなければ。
ただぶつかっただけ。でも僕はそんな小さな縁も見過ごしたくはない。
もう二度と、誰かを見捨てるような真似はしないと、僕はあの日誓ったのだから。
【チンピラ】「い、いてえええええ! い、医者!医者ぁぁぁ!」
悲鳴はいつしか泣き声に変わっていく。
どたんばたんと暴れる音も音量を増す。
【七緒】「ちょっと、だ、大丈夫?」
男を取り囲みはするものの、まったく助けようとしない野次馬たちに内心悪態をつきながら、僕はその傍らに寄った。
男はぴくぴくと痙攣し、口から軽く泡を吹いている。
携帯電話を取り出した。救急車が必要かもしれない。
【七緒】「ちょっと待って。すぐに助けを呼ぶからね」
1、1と押し、最後に9をプッシュする。
たかが三桁。すぐに終わる。
……終わるはずだった。
【七緒】「あれ?」
親指はボタンを押せなかった。
僕の右手からは忽然と携帯電話が消えていた。
……なぜなら。
○暗転。
【少女】「そんな必要、ないわよ。この人、すぐに起きるわ。よけいな真似は、この人のためにもならないんじゃない?」
【七緒】「……君は」
白い少女らしいブラウスに、クールグレーのミニスカート。
風に揺れる栗毛の髪から、ふわりとしたフルーツの香り。
白い指が僕の携帯をもてあそぶ。爪には薄いパールの光。
申し訳程度の、優しいおしゃれ。
見とれた。
……一瞬、いやもうちょっと長いかも。
美少女。
そんな形容詞はブラウン管の中の人たちだけかと思ってたのに。
長い睫毛が瞬いて、僕と倒れた男を見る。
小説の中のワンシーンのよう。
きっと、彼女はあのスカートの中から白いハンカチを差し出して……。
○暗転。
○蹴る音
【チンピラ】「ごふっ!」
【少女】「ったくう……物欲しげな目であたしを見ないで頂戴。汚らわしいっ」
【七緒】「……」
○町中 八重勝ち誇る感じで立ち
【少女】「……ほら、起きなさいよ。さっさとしないと、警察が来るわよ」
ピカピカに磨かれたエナメルの靴がげすっ、と男の腰を蹴る。
【チンピラ】「ぎゃああああ!」
【七緒】「……」
とたん、ひときわ高い悲鳴をあげて、滑稽な程にのたうち回る。
あれを食らったら嫌でも起きなければなるまい。
……モロに傷だった。合掌。
心の中で手を合わせるのにかこつけて、僕は現実を暗転させる。
目をつむれば少しはこのダメージから逃れられる気がしたから。
……美しい夢想は粉々に打ち砕かれ、見る影もない。
いや、僕だけじゃないよ。周りの野次馬だってきっとそうだ。
あんな美少女から、こんな仕打ちが繰り出されるなんて、小説やドラマの中ではあり得ない。
いや、現実にだって出来ればあって欲しくなかったけど。
……ああ、体は痛くないけれど、心が痛い。トホホ。
【少女】「起きたんなら、さっさと消えなさい。目障りなのよ、あたしの前でそんな稚拙なやり方をされると」
男はのたうち回り、少女に向けて鋭い目を向ける。
【チンピラ】「な、なにしやがんだ……! 俺をどこの組のものだと……!」
【少女】「別にどこだっていいけど。その程度の腕でヤクザを騙ると、後々面倒なんじゃない?」
【チンピラ】「なに?」
啖呵を切る男に対し、女の子は怯む様子も見せない。
【少女】「……ま、やった方が早いか。それじゃ、失礼してっと……」
僕の携帯電話を彼女は耳元でゆらゆらと揺らし、ボタンを見もせずにいくつかの番号を押した。
1、1。その後は、9か。……0か。
【少女】「おまわりさーん、カモンカモン☆ 今、捕まったらアンタ、言い訳できないわよね」
【少女】「その内ポケットからはみ出してる財布は、一体誰の?」
【チンピラ】「……!」
【七緒】「……あっ」
男の懐からはみ出しているのは、見覚えのある……僕の財布。
○財布 カットイン すぐに消去
【七緒】「それ、僕の!」
【チンピラ】「ぐっ」
いなや、男は怪我も惜しまず立ち上がり、逃亡を図ろうとする。
もちろん僕の財布はまだそいつの手元だ。
【七緒】「待っ…………」
【少女】「……往生際が悪いわねっ!」
僕が男に追いすがるより早く、その風は走る的を綺麗に薙いだ。
○八重、チンピラをぶっ飛ばすSE コミカルに。
○画面揺らす。☆が散る。TG01
【チンピラ】「ぐあっ」
【少女】「……ふふん、決まった!」
少女はまるで猫のようにアスファルトに着地する。
(と、跳び蹴り……)
それは、あまりにも鮮やかな。
あの細い足のどこにそんな力があったのか。
男は頸部に見事な一撃をくらって、今度こそ二度と目覚めなさそうな眠りについた。
○男の倒れる音
【少女】「……まったく、私のカモを横取りしておいて、生意気なのよ。弱いくせに」
少女は子鹿のように頭を小さく振り、柔らかそうな髪をかきあげる。
独り言は小さく風に乗って僕の耳に届く。……すごいことを言っている。
男の懐から少女は財布を取り出すと、中を一枚、二枚、と数えている。
そのあまりにも現実離れした『シーン』に、その場にいた誰もがあっけに取られ……。
【通行人】「お、おい……死んだのか?」
【通行人】「嘘お……ヤダ」
ようやく、ことの重大さに気付く。
我に返れば、これはまずい状況なんじゃないか。
僕もようやく、それに気付く。
【七緒】「い、生きてる!? だ、大丈夫ですかっ」
男の口からはどんどん泡が出て、なんだか白目も剥いている。
さっきよりもっと、状態は深刻だ。
なぜ、よりによって僕の目の前で。見捨てられやしないのに。
【七緒】「君、携帯! 携帯電話返して!」
○八重表示
右手には僕の携帯電話。左手には僕の財布。
少女は少しびっくりしたような顔をして、僕を見る。
【七緒】「……早く! 死んだらどうするんだ!」
【少女】「別に死んだりなんてしないわよ。ちゃんと急所は外したもの」
【七緒】「外したからいいってものじゃないだろう! ……返しなさい」
○八重 ポーズBで不満そう
【少女】「……何よ、その態度。助けてあげたのに!」
【七緒】「……え」
○ポーズ戻し
【少女】「ふんっ、勝手に救急車でもなんでも呼べば。それで事情聴取とかされちゃって、一日無駄に過ごすといいんだわ。……さよならっ!」
○八重消える
【七緒】「あっ……」
少女の放った固形のものは、大きく放物線を描いて飛ぶ。
僕はそれを慌てて追う。
……けれど悲しいかな、僕の反射神経は期待通りに動いてくれはしないのだ。
○電話が落ちる
【七緒】「うわ」
嫌な感じの音。
ピ、と電子音が鳴った後、緑のバックライトがちりりと燃えて、消える。
目の前、手を伸ばした指の先で。
【七緒】「……がーん、こ、壊れた……」
ふと見渡せば、辺りには黒山の人だかり。
そしてその円の中心に佇むのは倒れた男と……僕。
人はどんどん増えている。
【通行人】「おい、人殺しか?」
【通行人】「何かお金のトラブルみたいよ?」
【通行人】「警察呼んだ方がいいんじゃないか」
【通行人】「あの男、犯人なのか?」
口々に好きなことを言う見知らぬ人々。
男は目覚めない。
少女は消えた。
(まずい)
【七緒】「し、失礼しますっ! あ、あの、誰かこの人に救急車をお願いします! それじゃ!」
【通行人】「あ、こら! あんた、どこに行くんだ!」
人垣が僕の行く手を阻む。
理不尽だ。
僕はただ、ぶつかられて、スられて、助けようとして。
……裏目に出ただけの罪のない一般人なのに。
【七緒】「と、通して下さい!」
○つきとばす音
渾身の力で立ちふさがる誰かを振り払った。
【通行人】「うわっ」
相手がよろめき、尻餅をつく。そのとたん、人混みが吼えた。
○ざわめき
【通行人】「捕まえろ!」
【通行人】「怪しいぞ、警察を!」
【通行人】「おい、兄ちゃんに救急車呼んでやれ!」
瞬く間に僕は取り囲まれ、あちこちから腕を引っ張られる。
【七緒】「痛っ……や、やめて下さい!」
【通行人】「押さえつけろ!」
【七緒】「……僕は何もしてません!」
それは見ていた人ならわかるはずなのに。
あの数分の間に目撃者は誰もいなくなってしまったのか。
……そうかもしれない。
ここは東京、渋谷の街。おもしろくなくなれば、すぐに飽きてどこかへ行ってしまう。
○スクリーンショット モノクロ
【少女】「ふんっ、勝手に救急車でもなんでも呼べば。それで事情聴取とかされちゃって、一日無駄に過ごすといいんだわ。……さよならっ!」
○復帰
あの女の子の言った言葉が蘇る。あれは予言だったのか。
確かにこのままじゃ僕は警察に連れて行かれて、今日一日を無為に過ごすことになるだろう。
(そんなことは絶対、あっちゃいけない)
今日は約束の日。
……僕は戻らなくてはならない。せめて、あの駅前まで。今すぐにでも。
【七緒】「……どいて下さい!」
○つきとばす音
【通行人】「うわっ」
【七緒】「……どいて!」
構ってなんていられない。
……僕は逃げる。とにかく、ここから。
ランアンドラン
【通行人】「待て!」
【七緒】「くっ……」
待てるわけがない。とにかく追われない方へ。
……駅に戻るのは彼らをまいた後だ。
僕は走る。春の日差しは温かく、風はぬるい。
こんな素晴らしい日に、僕はどうして追われていたりするんだろう。
情けなくなってくる。
○追う足音
【七緒】「……しつこいっ…………」
全力で道を走り、驚いた顔の通行人を乱暴に払いのけた。
心の中で小さくごめん、と言うけれど伝わるはずもない。
方向は駅からどんどん離れていく。
【七緒】「くそっ……どうしたらっ……」
これで本当に八重に会えないとしたら。僕はすべてを怨むだろう。
自分の選択、甘さ、誓い、そしてこの街に。
【?】「……こっち」
【七緒】「っ……!」
○暗転。
暗がりからにゅっ、と白い手が伸びてきて、僕を掴んだ。
勢いを殺がれて、思わず前のめりに倒れる。
【七緒】「うわっ…………っ」
転ぶ、と思った瞬間、その手は僕を離す。
当然、僕の体は掴む物もなく石畳に倒れ伏した。
○転ぶ感じの効果
○繁華街2
【七緒】「……痛っ……」
激痛が肩に走る。……我ながら、思い切りよくぶつけた。
○八重表示
【?】「痛がってる場合? こっちに来るのよ。さっさとしなさい」
【七緒】「……君は!」
さっき、スリを見つけて蹴り倒した、白いブラウスの少女。
またフルーツの匂いがした。
長い睫毛をしばたたかせ、少女は僕に言い放つ。
【少女】「……さっさとしろって言ってるのよ、この馬鹿っ!」
惚ける僕の右手を、服を掴んで引っ張り上げ、少女のいる暗がりに引っ張り込まれた。
そこは汚れた雑居ビルの隙間の隙間、人がようやくひとり通れるか通れないかの、小さな暗がりだ。
○暗転。
○繁華街2 色替え(又はスクリプトでオーバーレイ乗せる?)
○八重表示
【少女】「私をまたいで奥へ行って。古い扉があるから、しばらくそこへ隠れていなさい」
【七緒】「……助けてくれるの」
【少女】「……私はさっさとしろと言ったのよ!」
があー、と少女の口が開いた。……虎のようだ。
【七緒】「ご、ごめん。わかった! ありがとう!」
【少女】「いい、おとなしく待っているのよ。『また』どこかへ行ったりしたら、許さないからね」
○八重消える
少女はそう言い残して消えた。……クールグレーのスカートを翻して。
【七緒】「……『また』?」
違和感を抱く。彼女はまた、と言った。
助けてもらったのは確かに二度目だ。
彼女の忠告通り、あの時、僕はそしらぬ顔をして駅前に戻ればこんな目に遭わずに済んだ。
けれど、あの『また』という言葉は僕がトラブルに口を突っ込んだことでも、彼女の忠告を無視したことにも係っていなかったように聞こえた。
○スクリーンショット
??『また』どこかへ行ったりしたら、許さないからね
それは、どんな意味があって。
【七緒】「ばか、そんなはずないじゃないか」
……そう思って、考えを止めた。
何を都合のいいことを考えてる、僕は。
八重があんな子になっている筈がないじゃないか。
○八重表示。
○それに重なり(半透明)入れ替わりに表示される子どもの八重。(前選択肢の逆)
……八重は静かな子だった。
笑わない子だった。
感情を表さない子だった。
……いつだって、そうだったじゃないか。
エナメルの靴音
○繁華街2
○八重の靴音
軽い足音が石畳を叩いて近づいてくる。
僕は思わず身構えた。
……まだ追ってくる人たちがいるんだろうか。
スリの時は見過ごしたくせに、こんな時だけしつこいなんて反則だ。
……もっとも、野次馬の心情なんてそんなものだろうけど。
逆らわない相手にはとことん食いつく。
何も言えない相手にだけ、彼らは標的を絞るのだ。
【?】「……もう逃げられないぜ」
【七緒】「…………っ」
唸るような低い声。……警察か。
少女はどこに行ってしまったんだろう。
僕は見捨てられたのか。……からかわれたのか。
(……なんだ、やっぱりそんなもんか)
助けてくれるなんて、そんな期待をしたのが間違いだった。
……もう仕方がない。今日はもう諦めよう。
……色々なことを諦めよう。
○七緒表示
【七緒】「……すみません、でも僕は、彼に危害を加えたりなんて……」
○八重並べて表示 楽しそう
【七緒】「……あ゛?」
【少女】「あはははっ! マヌケ顔! びっくりした? びっくりしたーー?」
大きな口を開けて、少女は快活に笑い、そして僕は絶句する。
(マヌケ……って)
たぶん罵倒されたのだろう。
いや、確実にそうなんだって思うけど。
……少女はまだ笑い続けている。辺りにはただ、通り過ぎるだけの人々。
無害な通行人ばかりだ。
僕を探しているような気配はない。
【少女】「安心しなさいよ。もうみんな、飽きてどこか行っちゃったから。もう安全」
【七緒】「本当?」
【少女】「本当よ。だからいつまでもそのマヌケ面、してないで。ほら、これも返してあげるから」
○七緒の財布
ぽん、と無造作に財布を投げられた。僕の財布だ。
【七緒】「あっ、そういえば……」
【少女】「まったくあんたみたいなの、渋谷を歩くだけで身ぐるみを剥がされても、文句は言えないわよ。せめてチェーンでも付けておきなさいよ」
【七緒】「……どうも」
思わず憮然として財布をジーンズのポケットにねじこんだ。
(……スリをスったって言わないのか、これって)
彼女があの男を蹴り上げた後、呟いた一言。
○スクリーンショット EV22 セピア処理
【少女】「……まったく、私のカモを横取りしておいて、生意気なのよ。弱いくせに」
そう、確かに彼女はそう言った。
要するにそれってこの子も僕をスろうとしてたってことじゃないのか。
○スクリーンショット終わり
○繁華街2 八重表示
【少女】「……感謝の念がこもってないわね。なによ、その『どうも』って」
緑ががった澄んだ瞳がじっと僕を凝視する。
【七緒】「……ありがとう」
……言い直しを求められているのだと気付いて、訂正した。
言葉の表を取り繕うだけなら、簡単なのだし。
【七緒】「感謝してるよ」
【少女】「……ま、いいわ。それくらいで勘弁してやっても」
あまり納得していなさそうな声音で、少女は一歩引く。
【少女】「日本語の喋れない人に礼を求めても無駄だものね」
【七緒】「…………っ!」
あまりの物言いである。
(……やっぱり気のせいだ!)
ぴくぴくとこめかみが引きつるのを感じながら、僕はさっき自分に問いかけたすべてを帳消しにした。
彼女がもしかしたら八重かもしれないだなんて、一瞬でも思った自分が恥ずかしい。
少女の纏う雰囲気。
それは昔の、僕の知るあの子とはあまりにも違う。
だけど、栗色の髪も、瞳も、白くて透けるような肌の色も、似ている。
……だけど、あり得ない。
(こんな子が八重のわけない!)
○表示された八重に子どもの八重が重なる
八重はおとなしい子だった。
学校の帰り道、交差点、夕闇迫る土手の上。
オレンジ色の光の中、いつも八重はとぼとぼと僕の前を歩いていた。
ふたりで帰った記憶はない。僕も君も、たったひとりで。
○普通の八重だけ表示
【少女】「でさ、何かお礼してくれないの?」
【七緒】「……」
夢想を容赦無くつきやぶる声は、もちろん目の前の見知らぬ少女だ。
……唇をとがらせて、手を前に差し出す仕草。
それはオネダリ、という奴なんだろう。
【少女】「あたし、おじさんの財布を拾ってあげたんだよ? 何か一割分貰っていいよねえ?」
小首をかしげて覗きこんで来るその顔は、スリよりもタチが悪いような気がした。
【七緒】「君……さっき僕のこと、日本語の通じない、礼のない奴だって言わなかったっけ。そういう奴が君のお礼なんて考えると思う?」
軽く睨んでやると、少女は悪びれもせずに笑った。
【少女】「思う!」
【七緒】「だっ…………なんでっ!」
【少女】「だって、私はその権利があるんだもん。礼の心がなくたって、日本国民である以上権利を守る義務があーる!」
【七緒】「なんだよ、その論理は……」
【少女】「警察に届けたら一割だったんだから。ちょーだい、一割」
突き出した手を大きく広げる。
……要するに、僕はスリから逃れ、野次馬からは追われなくなったものの、もっと質の悪いタカリに捕まったのだ。
いや、むしろ最初からそのつもりだったのか。
【少女】「私はあんたを二度も助けてあげたのよ。それくらい、してくれたっていいでしょう」
【七緒】「…………はあ」
……ため息を思わずつく。確かにそれは紛れもない事実だ。
財布が手元に戻ってきたのも、野次馬に無実の罪で警察に突き出されずにすんだのも、すべては彼女が僕の近くにいてくれたからだ。
【少女】「どうなの、あんたは本当に日本語通じないの?」
【七緒】「……通じてるよ。いいよ、するさ。お礼くらい」
【少女】「ふふん、それでいいのよ。……何くれるの?」
【七緒】「一割だろ。……えーと、じゃあ一万円かな」
財布から一枚取り出して押しつける。
【少女】「…………なによこれ」
【七緒】「何って……お礼」
【少女】「……っ」
べしっ、と手を叩かれて、ペラリと万札が風に乗った。
【七緒】「わっ!」
思わずそれを靴で踏んで捕まえる。
なんてことをするんだ、この子は。
【七緒】「な、何するんだ! お金を粗末に扱ったらだめだろ!」
【少女】「……ダサ。女の子相手に現金払いなんて。あんた、世の中ってものをわかってないんじゃないの!?」
【七緒】「そ、そんなこと言ったって……」
困る。困った。……困るわけで。
女の子へのプレゼントなんて、したことがない。
第一、『一割』って言ったじゃないか。一割って割り切れる数だ。
お金が一番、わかりやすいのに。
【七緒】「じゃあ、何がいいの?」
【少女】「そんなこと、女の子に決めさせないでよ」
【七緒】「それじゃ、いつまで経ってもお礼なんて出来ないよ!」
思わず眉根が寄ってしまう。本気で困る。
ただでさえ、今は八重とのことで頭が一杯だというのに。
【七緒】「……あっ!」
とたんに顔が青ざめた。
シャツをまくりあげ、時計を凝視する。1:30。
○七緒の時計
【七緒】「いちじ、さ、さんじゅっぷんーーーーーーー!?」
待ち合わせ時刻を一時間三十分も過ぎていた。
もし八重が待ち合わせ通りに来ていたとしたら、相当待たせた計算だ。
【七緒】「ご、ごめん。僕、人と待ち合わせしてるんだ!」
【少女】「そんなの知らないわよ!」
【七緒】「大事なことなんだよ! と、とにかく、ごめん!」
【少女】「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」
僕は駆け出す。彼女はそれを追いかける。……追いすがる。手を伸ばす。
そして、ひたすら、ともかく、要するに。
タイミングが悪かった。
彼女の指は僕の腕を掴まず、服を掴み。
あまりにも慌てた僕は石畳の隙間に靴をひっかけ。
彼女はといえば、バランスを崩した僕を支える気などなく。
……僕は服を引っ張られる反動と共に、なすすべもなく後ろ手方向へ…………。
○暗転。
○倒れる音
【七緒】「わっ」
【少女】「きゃあ!」
倒れた。
○復帰 八重表示
【少女】「いたた……」
○七緒復帰
【七緒】「ご、ごめん。でも、君が引っ張ったのが原因だよ」
【少女】「……うるさいなあ! わかってるわよ、そんなこと!」
【七緒】「てっ」
少女は立ち上がりざま、僕の腕をばしっと叩き、顔を真っ赤にして悪態をついた。
【少女】「ふんだ」
完全にご機嫌をそこねてしまっている。
僕は時計をまた見た。1:42。刻々と事態は悪化の一途を辿っている。
行きずりの人間だと割り切って、このまま消えるのが利口なのだろう。
そう、さっきのスリの男と同じように。
彼女には確かに世話になったが、やっぱりお金で解決するべきなのだ。
それ以上の関わりも、後腐れも持つべきじゃない。
僕はもう大人なのだし。
(だけど)
ぷっくりと頬をふくらませて怒っている女の子。
それはあまりにも子どもらしく。
……僕が憧れ、ついぞ持つことが出来なかった『何か』の匂いがして。
……このまま立ち去ることを、躊躇わせた。
○選択肢 見知らぬ誰かへの正義?
○A:名刺を渡して立ち去る。(03-aへ移動。このファイルにもう用はねーぜ!)
○B:お礼をする。(続行)
pre03-b……衝撃の茶封筒
○B:お礼をする。(03-b)
しばらく気まずい沈黙が続いた後、僕は根負けした。
【七緒】「わかった、とにかく立ち話はよそう。お茶でいい?」
ため息をつきながらそう言うと、少女はかえってびっくりしたようだった。
【少女】「え、いいの」
【七緒】「不満?」
【少女】「だ、だって。待ち合わせは?」
【七緒】「……財布を取り返してもらったことは感謝してるから。ちゃんとお礼はしないと。君は、家族にそう言われたりしない?」
なにげなく言った一般論だった。
しかし、それにしてはあまりにも。
【七緒】「……君?」
【少女】「……そんなこと」
後の台詞は聞こえなかったが、否定的な印象がした。
さっきまでの明るい瞳の色は消え、長い睫毛が微妙に震えている。
(あ、マズ)
僕は頭をかかえた。こういう空気はよくない。
女の子の面倒なところに、こういった『ムード』がある。
悲しみや喜び、時に誘いであったり、否定であったり。
言葉にしない何かを、いかにも『解かるはずでしょ』とばかりに男に押しつけてくる。
手ひどいところになると、『愛が足りない』となじられたりする。
そういう機微を察するのは、いかにも僕の不得手とするところだった。
【七緒】「と、とりあえず喫茶店に入ろう。あそこでいい?」
とにかく、このムードから逃れたい一心で、僕は少女を促した。
へりくだった笑顔になるのは否めない。周りの視線が痛かった。
【少女】「なんで気付かないのよ、このバカっ!」
ソプラノが耳元でハウリングを起こして、爆発した。
【七緒】「へ……?」
動転している自分の中で、唯一冷静な部分が『マヌケな声だな』と指摘した。
【少女】「あああ、もう信じられない! 昔っからマヌケだ、バカだと思ってたけど、ここまでニブチンだなんて思わなかったわよ!」
どか、とピカピカに磨かれたエナメルの靴が僕を蹴った。
【七緒】「いてててっ、何するんだ!」
思わぬ奇襲に僕は飛び上がった。しかし、攻撃は止まなかった。
【少女】「どうしてそう、お人好しなわけ? ちったあ、疑いってものをもちなさいよ! いい子ぶっちゃってさ!」
【七緒】「な……何で君にそんなこと言われなくちゃいけないんだ!?」
混乱する。何が気に触ったのか知らないが、目の前の少女は真剣に怒っている。
【少女】「大事な用事があるのに、何で他人のことまでかまってるのよ!あんた、将来教祖にでもなるつもり!?」
【七緒】「僕はサラリーマンだっ!」
【少女】「だったら営業スマイルは仕事だけにしなさいよ!」
言い返しにもならない主張をしたが、カウンターを食らった。
どかっ!
【少女】「この鈍感!」
二発めを食らった。
かわいらしい革靴は、ばっちりかかとが作り込まれていて、ハイヒール並みに痛かった。
【七緒】「??????!!!」
【少女】「……なんで、わからないのよ! あたしよ、あたし!」
【七緒】「……え」
【少女】「……やっぱり……あんたなんて……だいっきらーーいっ!」
○蹴り飛ばす音
その声と共に、三発目の蹴りが腹部に入った。
あのスリを捕まえた時と同じように、細い美しい足が、半月の弧を描く。
もちろん僕は。
【七緒】「あっ」
○倒れる音 暗転
……それに抗う術など、なかった。
○空 フェードイン (ゆっくりめにやって、時間経過表現)
【七緒】「…………」
【七緒】「……」
【七緒】「……あ……空……」
状況をなんとか理解しようとする。
朝起きて、服を選んで、電車に乗って……渋谷までやってきて。
……僕は妹を捜す。記憶を頼りに。
だけど、僕の中の八重は小さい子ども。
今にも折れそうな足で、雪の上を歩く。
……そうだ、僕は君に、会いに。
○繁華街2
そこで、ガチリと頭の芯が正常にかみ合う。……渋谷の街。
……そうだ、僕はここで、やらなくちゃいけない、ことが。
○ 八重の膝枕
【少女】「…………目、覚めた?」
ぱっちりとした大きな瞳が、少しきまり悪げに僕を覗きこんでいる。
【七緒】「あ……れ……僕…………」
【少女】「思わず本気で蹴り入れちゃった。あれは柔道じゃないわね。ただのケンカだわ。お師匠様にごめんしなくちゃ」
クールグレーのスカートがふんわりと自分の頬に触れ、フルーツの香りが鼻孔をくすぐる。
(いい匂いだな……)
柑橘類のツンとした甘さが、頭の痛みを和らげていく。
【七緒】「僕……倒れたのか」
【少女】「打ち所、悪かったみたい。転ばすだけのつもりだったんだけど」
申し訳なさそうに悪事をばらすので、僕は怒るでも許すでもなく、ひたすら困った表情を作った。
空を見上げていると、どんどんいつもの冷静さに戻っていく。
……右手の時計を見ると、すでに二時も過ぎて三時過ぎ。
正確には3:12。
……もう流石に、八重は待っていないだろう。
(サイアクの再会になっちゃうな)
何年もこの日を待ち続けて。なのに、こんなどうでもいいところでつまずいて。
妹はどう思っただろう。いいかげんで、責任感の無い、薄情な兄だと思っただろうか。
また、昔と同じようになるのかと。
【七緒】「……電話」
【少女】「えっ」
【七緒】「……電話しないと。携帯……あ、そうか壊れたから……公衆、電話」
起き上がろうとすると、ギリリと背中が痛んだ。
それは結構耐え難い痛みで、僕をまた闇へ落とそうとする。
けれど、負けられない。
これ以上は。
【七緒】「たぶん、八重……佐々木さんのところへ連絡を入れていると思うから。……あの子は、もとは頭のいい子だったし」
自分に確認するように呟いた。後悔していた。
ほんの少しの選択ミス。
あの時、どうあっても、待ち合わせ場所から離れるべきではなかった。
そうすれば彼女に寂しい思いや、困惑など感じさせずに、僕らは出会えたはずだ。
そして、八重にとって苦しい場所へ電話をかけさせることも。
それは忘れたいことのはずだから。
今までのすべてを切り捨てるために、きっと彼女も僕の誘いを受けてくれたと思うのに。
【七緒】「……ダメだな、僕」
【少女】】「……頭、痛い? そんなに」
【七緒】「……平気」
通りすがりの少女。不思議なものだ。怨む気にはなれなかった。
(やっぱり似ているかもしれない)
苦笑しながらそう思った。
頼りなげに眉をひそめるその顔だけは、僕は好きになっている。
……記憶の中のあの子と重なるから。
【七緒】「……悪いけど、お茶。今度でいいかな。これ、渡しておくから」
財布から名刺を取り出す。
その下に、自宅の住所と電話番号も書く。
○名刺カットイン
【七緒】「表は会社。裏は自宅。携帯は壊れたから、しばらく通じないしね」
【七緒】「妹と暮らしてるから、たまに出るかもしれないけど、気にしないで言付けて」
【七緒】「……まあ、妹じゃなく、留守電対応になっちゃってるかもしれないけど」
はい、と少女に向かって差し出した。
妹と暮らしている、という嘘は僕の精一杯の見栄だ。
……見ず知らずの人だから、そんな未来があると話したっていいだろう。
もうなくなってしまった、僕の望みを話しても。
……きっとすぐに忘れてしまうだろうから。
【少女】「はせべ、ななお」
白い指が名刺をおずおずと受け取った。
○カットイン、消去
【七緒】「そう。よく読めるね。はせべ、なんて」
【少女】「……知ってるわよ。当たり前だもの。私にとっては」
【七緒】「え?」
そう言うと、少女は服のポケットからぐしゃぐしゃになった封筒を取り出した。
【少女】「これが、私」
○カットイン 八重宛の七緒の手紙
【七緒】「……」
絶句するしかなかった。
○八重、ニヤっとする
【八重】「あははっ! マヌケ面!」
【七緒】「……八重……? なの……」
栗色の髪に、緑がかった大きな瞳。白い肌。
……月の光と赤いサイレン。
【八重】「……そうよ。私は長谷部八重。……やっと気付いたのね、お兄ちゃん」
あなたは私を許せるの?
○一枚絵終わって、繁華街1 若干ゆっくりめで時間経過。
スリにあった辺りまで、僕らは並んで戻って来ていた。
ふたり連れ添い、並んで歩く。
それは僕にとっては念願の光景だったのに…………これほど、心が晴れないとは。
○八重表示
【八重】「あーーーー、笑った笑った! お兄ちゃんってホントバカなのね。あんなにヒントを出してたのに、気付かないなんて」
【七緒】「……悪かったね……」
八重は通行人の視線にも構わず、ずっと笑い転げながら歩いた。
僕はただその傍をつかず離れず歩いていただけだ。
あの手紙を見せられれば彼女が僕の妹であることは明白である。
だってあの手紙の宛名は紛れもなく僕の字で、転送マークは佐々木さんの筆跡。
……間違えようもない。
確かに八重の言うとおり、ヒントも心当たりもあった気はする。
だがしかし、という奴だ。
【七緒】「何だよ……八重がわかってたなら、最初から言ってくれよ」
毒づいても仕方ない、とはわかってはいたものの、言わずにはいられなかった。
僕は何度も病院の八重に手紙を書いた。
誕生日には毎年プレゼントを贈った。
忘れられるのが恐くて、写真もいつも入れていた。
しかし、八重からは葉書一枚貰ったことはない。
彼女は自分の今の姿を知っているが、僕はそうじゃなかった。
もっとも、勘などという不確かな物に自信をもった僕も悪いけど。
【七緒】「八重が写真をくれていたら、僕だってきっとわかったよ」
【八重】「そうかしら。ま、そういうことにしておいてあげてもいいけど。……悪かったわね」
まったく悪びれず答えられる。
はあ、とため息をつくしかなかった。
【八重】「でも、お兄ちゃんは隙だらけね。あんなにぼーーーーっとしてたら、スリにあっても仕方ないわよ」
【七緒】「そりゃあ、そうだけど……。仕方ないってのはひっかかるな。スリをする人間の方がいけないんだよ」
【八重】「……そうかしら」
【七緒】「スリはいけないことだよ。悪いことだと決まっている。八重だってそう思うだろ?」
僕は正論を言っている。
スリはいけないことだ。きちんと法律でも禁止されている、犯罪だ。
【八重】「じゃあ、お兄ちゃんは悪いことをしたらおとなしく自首するんだ?」
【七緒】「え……?」
【八重】「法律とか、決まりとかに触れなくても、悪いことなんてこの世には一杯あるのに?」
……ひどく、哲学的なことを言う。
大きくて黒目がちな、八重の瞳。
それは僕の顔をめいっぱいにまで映している。
……ぶるり、と思わず震えた。
(……なんか、取り込まれそうな)
妹に対してなんて感想だ、と我ながら思う。
【八重】「まっ、お兄ちゃんらしいけどね、そういうところも」
【七緒】「……そ、そうかな」
【八重】「そうよ、ふふっ」
【七緒】「……」
【八重】「……ま、いいわ。もう、暑くて嫌になってるのに、こんな場所で立ち話なんてうんざり。行きましょ」
【七緒】「わ!?」
ばたばたっと大股で八重は僕の隣にやって来て、するりと当然のように腕を絡めた。
【七緒】「えっ!?」
【八重】「何、ビビってるのよ。迷子防止よ。知ってるでしょ。私、この街、詳しくないのよ。ちゃんと案内してよね」
【七緒】「……どこへ?」
【八重】「……」
ギリっと腕をつねられた。
【七緒】「いたっ! 痛いよ、八重」
【八重】「あのねえ、私が通りすがりの誰かさんでも、八重でも、お兄ちゃんがこれからすることはひとつでしょ」
○お腹の音
【七緒】「あ……」
【八重】「お腹すいたの!」
……盛大なお腹の音と共に、盛大に胸を張られた。
彼女が僕の妹。
長谷部八重。