○暗転。
雪、月、花。
四季折々の美しいもの。
戦い疲れ、くたくたになった私の心を、それらはどれだけ癒やしてくれたことだろう。
——目覚めの端、いつも枕辺にはそれがいた。
○一枚絵 寝ている子ども(葵)。枕元に花。侍女バージョン。
【葵】「けほけほっ……けほけほっ」
【侍女】「大丈夫でございますか、姫様」
【葵】「……頭がいたい……」
【侍女】「お熱が下がりませんものねえ。この雪では薬師も来るのに時間がかかって。今、急いで使いをやっているのですけど……」
【葵】「……けほけほっ」
【侍女】「何かお飲みになりますか?」
【葵】「……いい……眠っておくゆえ……」
【侍女】「そうですか? 何かありましたら、お側におりますのでお声かけ下さいませ。それでは」
○侍女、退席。
【葵】「……」
○ブルーオーバレイ乗せて夜効果。
【葵】「……少しはよくなったと思ったのだがな……」
日野平の家は退魔の家である。
近隣の有力者に請われ、鬼や妖怪を退治するのが生業だ。
私はその家の第七子として生まれ、最年少でその地位を継いだ。
先代の生んだ子どもに退魔の力はなぜか無く、後継を決めようもなかったからだ。
そして七人。様々な形で日野平の血を受け継がされた子どものうち、私が選ばれた。
出自が一番低かった、七姫が。皮肉なことだ。
——幼いなりに、私は周りから自分がどう見られているか理解していた。
(刀さえなければ、すぐに切り伏せられるのに……か)
咳をする。腹の底から苦い。まだ体に毒が残っている。
山奥の村の依頼にかこつけて、本家をどうにか逃げ出した。
思い出したように姉妹たちはこんな謀をしかけてくる。
本当に殺そうなどとは思ってはいないのだろうが。
それでも子どもの体にこたえることは確かだ。
(だが、姉たちの気持ちもわかる)
巫女姫として生きるために数十年の努力を費やしたのに、素人のような若輩者に、あっさりと全てが与えられたのだから。
あの「刀」は私を選び、強大な力を手に入れた。
——だから、私は一生をかけて納得させなければならない。
この力を。
相応しかったと。この私に、日野平の巫女は相応しかったと……。
あの人たちの努力を無駄にしないためにも。
○物音。風が入ってくる。
【葵】「……なに……寒い」
【紅丸】「……あほうが。また毒など盛られたのか。あれほど、本家で杯を口にするなと言い聞かせたであろうが」
【葵】「……べにまる……」
○一枚絵に紅丸追加。
障子を開けた先には月明かり。それに照らされるは美しい赤髪の魔物だ。
名を紅丸という。……私の「刀」だ。
日野平の巫女の印であり、私を巫女にした張本人。
普段は刀となって私の側にあり、時折抜け出て木々を渡る。
元は力ある神であり、のちに魔物となって村里を荒らした紅丸は、解き放ってはいけない存在として代々巫女がその血を与え、管理することになっている。
そして、代々の巫女を選ぶのは「刀」、紅丸である。
紅丸は一番自分に力を与え、使役するに相応しい者を選ぶという。
——それが今回の代は私だった。他にもたくさん、相応しいものはいたように思うのだが。だが、先代も特に異を唱えることはなく、私の手には刀が乗せられた。
——まだ正式な儀式をして継いだわけではないが、私が次代の日野平の巫女となるのは明確だ。
しかし、いくら刀を手に入れたとはいえ、私はまだ、ただの小娘である。
こんなに寝込んでしまったのも、魔の出るというあばら屋に居続け過ぎて風邪をひいたからで、まったくもって情けないとしか言えない。
強がって紅丸なしでやろうとしたのもよくなかった。
まだ私と紅丸は会話が成り立つほど近くない。
刀に選ばれて、まだ一年も経たぬのだから当たり前だが、何より紅丸は私のことを全く認めてくれていないのがわかるからだ。
選んだくせに酷いとも思うが、自分が未熟なのは重々承知しているので反論もできない。……紅丸は私をよくあほう、と罵る。
それは本当に様々なところで。
だから余計に考えあぐねる。
——私と奴は、どういう風に繋がっていけばいいのだろう、と。
【葵】「……飲めと言われれば受けねばならぬ。別に死ぬ量ではないし」
【紅丸】「そう思うなら飲み続ければよいがな。つけあがらせて困るのはおぬしだ」
【葵】「ならば、側にいて私を守れ。勝手に刀から抜け出して遊んでおるくせに」
【紅丸】「ならば我を縛り付けられるくらい、力を磨くのだな。たとえ才があっても、技を磨かずには腐らせるだけ。そうではないか?」
【葵】「ぐ……」
【紅丸】「……どれ、額を見せてみよ」
【葵】「……」
【紅丸】「……あほうめ。なんだ、この熱は。薬師はどうした」
【葵】「……雪が」
【紅丸】「……ああ、そうか。確かにな」
【葵】「……朝になれば止んでくれそうだ。それまでの辛抱……けほけほっ」
【紅丸】「……ふう」
【葵】「……なんじゃ、そのため息は」
【紅丸】「七姫。どうして命じない」
【葵】「……?」
【紅丸】「我を呼び出し、血を与えれば、山のひとつなどすぐに越えられる。式の使い方を知らぬのか」
【葵】「……」
【紅丸】「だからおぬしはあほうだと言うのだ。使うべき時に適した道具を使わぬのは、持ち腐れと言うのだぞ。今までの巫女の中で、おぬしが一番覚えが悪い」
【葵】「……それは悪いことをした」
【紅丸】「ならばさっさと命令せい。血を与えよ。我は使役されるためにいるのだからな。くだらんことだが、そういうことになっている」
【葵】「……」
【紅丸】「どうした」
【葵】「……だが、戦いではないぞ」
【紅丸】「……どういう意味だ?」
【葵】「……この村の依頼はすでに終えた。ただの地霊だったのでな。だから、ここでの戦いはもうない」
【紅丸】「……だからどうした」
【葵】「私がこんなことになっているのは、弱くて子どもで未熟だからだ。自分の責任でこうなっている。……そんなあほうのために、おぬしを使うなど、してはいけないと思うが、違うのか」
【葵】「……おぬしは解き放たれるために戦っておるのだろう? こんなことは、そもそも契約に入っておらぬはずだ。あほうな主の後始末など……」
【紅丸】「……七姫」
【葵】「……先代やその前の巫女がどうお前とつきあったかは知らぬ。だが、私はそうされるのが当たり前だと感じられないのだ。……自らに劣る者に使役されるなど、屈辱であろう?」
【紅丸】「……」
【葵】「……私はまだおぬしを使える資格がない。だから命令はしない。……それだけだ」
【紅丸】「……」
【葵】「……寝る。……寒いゆえ、障子を閉めてくれ」
【紅丸】「……承った」
【葵】「うむ。おやすみ」
○紅丸消去。障子が閉まる。
【葵】「……けほっ」
しんしんと雪の降る気配がある。
冷えた風がじんわりと顔をなで、熱を帯びた額に触れる。
(……もう少し甘えてもよかったのだろうか)
そんな考えも頭をよぎる。
(いや、やっぱりこれでよかったのだ)
分に過ぎた運命を持った。
——だが、逃げないと決めた。日野平の巫女は畏怖されながらも尊敬を集める。
それをいつも見ていたから。
ああいうものになれるなら、私はきっと頑張れる。
——なりたい自分になるために、私は今、甘えるわけにはいかない。
手軽な力に寄り添ってはいけないのだ。
○暗転。
それは遠い道のりだけれど。
(……誇れる自分になりたいのだから、いつか)
○一枚絵、朝色になる。
【葵】「……ん……」
【侍女】「おはようございます。姫様」
【葵】「けほっ、けほっ……」
【侍女】「まだお咳が出ますわね。熱は……やはりまだ、下がりませんね……」
【葵】「……あ……ああ」
体がだるい。指がしびれる。
——昨日より具合はずっと悪い。
唇がかさかさと音を立て、私の耳に障った。
(やっぱり、紅丸に)
——そんな考えがふと過ぎる。
障子越しにも雪が降り続いているのがわかった。
薬師はきっとまだ来られない。
(何を考えている。……だめだ。……今さら、そんなこと)
弱音を振り払おうと、しくしくと痛む腹を手で押さえたが、何の効果もない。
手もすでに冬の色に染まっていて、白く冷たくなっていたから。
【侍女】「でも、ご安心なさいませ。先ほど、都で高名なお医者様がお見えになりましたのよ。今、控えの間でお支度なさっていますから」
【葵】「……え?」
思わず大声が出た。
医者が来ている? こんな山奥に? しかも都の?
あり得ない。
【侍女】「ああ、どうしてここにいらっしゃったのか、ですか? それが不思議なことでして」
【侍女】「お医者様、どうも観音様にここまで連れられて来たのだそうですよ。この屋敷の姫を救えば、きっとご加護があるだろうって」
【葵】「……」
金魚のように口を開け、言葉を発しようとするが、それはことごとく失敗に終わる。
ばかな、幻だ、あり得るものか、まやかしだ。
私を助けて何の加護が降りるというのだ。
——だが、荒れた喉からはひゅうひゅうと空気が漏れるだけ。
女房はにこにこしながら「では」と言い残して障子を閉めた。
○侍女消える。
(……そんなあほうなことが)
ただでさえ痛い頭をふるふると振る。
神秘に足を突っ込む者として、もちろんそういった神の業があることは知っているが……。
それは神仏から見て類い希なる者に対してのみ発せられるもの。
自分のような若輩者に、そんな慈悲をかけられるとは思えない。
(なんのからくりだ。また、何かの陰謀では……)
——そう考えて、はたと枕辺に目をやった。
【葵】「……桜?」
季節はずれの桜が一枝、枕元に添えられていた。
ほのかな青い香り。それは詰まりきった鼻にも届くみずみずしさだ。
外はまだ梅も咲かない季節だというのに……あり得ない。
けれど。
○一枚絵 雪空(青空変換して使います)
——そんなあり得ないことができる存在を私は唯一知っていた。
赤い髪、長い腕、木々の間を飛びすさり、一息で千里を駈ける……。
そのための血はあげなかった。
ならば、それは契約などに縛られない、紅丸の自由意志での「行為」だ。
きっと疲れただろう。かといって刀に素直に戻る気などないだろうけれど。
——関係ない、という風に屋根瓦にまたがっているのかもしれぬ。
【葵】「……すまんな、未熟な主で……けほっ」
小さな咳に花が崩れ、ひらりひらりと布団に落ちた。
私はそれを慌ててすくい上げ、しばし思案した後に薬湯に浮かべる。
【葵】「……うむ、これは元気になれそうだ」
○雪空、青空にフェードイン