「悪役令嬢と極道P」新連載のお知らせBlog

SS「Promise again.」

三 もう一度(ジェイド)

 オレンジの光が目覚めを灼いた。冷えた風が薄い毛布を勢いよく剥ごうとする。それを浅い意識で食い止めて、ようやっと体の方も起きた。
「……ち、もう夕方か」
 苛立ちながら傍らに置いた眼鏡を手に取る。疲れが溜まっていたのだろう。ずいぶん意識がなかった。いや、意図的に失おうとしていた。
 予想とは明らかに異なった結果。ジェイド=ディヴィスのやり方じゃない。こんな泥縄な状況になるなんて、思わなかった。奈落の城は易くないとは思っていたが、まさかここまでとは。
 ……自負があったのがよくなかったのか。
 元々、天でも選ばれた者として生きてきた。自分より偉い奴の方が多い世界は生きにくい。
 頭を垂れ、床に手をつく時のあの冷たさが、嫌いだ。どんな肉体の傷よりも、心がじくじくと血を流す。けれど、それも今日でおしまい。また、選ばれた者としての日々が始まると思っていたのに。
「ちっ……女々しい。サフィルスみたいなことを考えるな。俺め」
 頭を何度も振って、弱気な考えを振り飛ばす。そして心に仕掛けておいた、特効薬を取り出した。
「……そろそろ降りて、からかってやるか」
 このボロ家を一日で人が住める状態にすることは不可能だ。あり得ない命令をしてやった。どうせサフィルスは自分に逆らえない。
 そういう奴だということは、共に行動し始めて三日でわかったことだ。自分より下の奴。……だから、たぶん。自分はサフィルスを連れている。
 ――認めたくないことだが。

 わざと足音を立てながら二階へ下る。
 やっぱり足下は埃だらけで、振り向けば足跡をくっきりと残していた。その様に少し安堵して、一階へ続く階段に足をかけた、その時。
「……なんだ、これは」
「あ、起きて来ちゃったんですか。ジェイド」
 場違いに感じるほど朗らかに、頭に三角巾をかぶった男がハタキ片手に笑みを返す。
 さっきまで薄暗く、すえた匂いが充満していた大広間。それが今は隅まで掃き清められ、清潔な輝きを放っている。
「……ひとまず、広間だけ掃除してみました。一日で全部は無理ですから」
「それはそうだろうな」
「でしょう? まあ、どうせ私と貴方しかいないんですから、しばらくはこの場所だけ使いましょうよ。屋根も直さないといけないし」
「……」
「……どうしました」
「……どうやれば、こんなになるんだ?」
 その疑問にサフィルスはきょとん、と目をすぼめ、その後『花のように』笑った。
「一生懸命やったら、できたんですよ」
「……」
 理由になってない理由だ。自分が聞きたかったのは、何をどうやって実現したかということで、そんな精神論じゃない。けれど、もう。
「ふーん。……そ。じゃ、メシ」
 聞き直す気も失せた。色々と。薬にもならない奴になりやがった。
 ……自分が期待していたのは、もっと違う……掠れたような響きの声音と、怯えた眼差し。笑顔なんかじゃなかったのに。
「何を言っているんですか、ジェイド。それは私の仕事じゃないじゃないですか」
「……なに?」
 深々とソファに沈めた体を跳ね上げる。
 ――そういえば飯を作っている気配がない。
 この料理大好き男がまさか、台所に最初に手をつけないだなんて、思っていなかったから。
「言いましたよね。賭けに勝ったら、夕飯をやるって」
「……あ」
 そういえば、そんな戯言を言った気もする。それもまた、あり得ないことだと信じていたから。
「台所、残しておきましたから。是非がんばって腕をふるって下さい。鍋も磨かないと、使えたものじゃありませんよ? はい、雑巾」
「お、お前……」
「たくさんありますから☆」
「……俺に本当に作らせる気か?」
「別に、卵焼きだっていいですから」
「……作れるか、そんな高度なモン」
 ふてくされて、再度ソファに体を沈ませる。威張って言うことじゃないが、ああいう小さいものを切ったり、煮たり、炒めたりするのは苦手だ。
「だったら、手伝いますよ。でも、最後までやりとげるのは、貴方ですからね。ジェイド」
「……ふん」
 三角巾と即席エプロンを解きながら、サフィルスはまた笑う。
 それはあまりにも自信に満ちていて、酷く胸を痛ませる。何かをやり遂げた後の満足感。きっとそれだ。確かにこの広間全部を掃除したら、そうなるだろうな。
 サフィルスのくせに。
「……ジェイド」
「わかってるよ、やればいいんだろ。やれば」
「頑張りましょうね」
「は?」
「また、頑張りましょう」
「……」
 赤く染められた光を背にして、じっと紫の瞳が彼方を見る。ソファに倒れ込んだ自分の体を透けて、遠く遠く、月も星も飛び越えて。暗闇の中にあって、いまだ空を見る。記憶の残滓を追いかける。見つめ返した。負けないように。
(……おかしな話だ。俺が、誰に負けるって? ……こいつが俺に勝てることなんて、永遠にないはずなのに)
 心にふと浮かんだその波紋を、ため息で壊す。……逃げなんかじゃない。
「サフィルス」
「はい」
「……作るのはいいが、そもそも材料がないんじゃないか?」
「あ」
 思わず口の端がつり上がった。やっぱり、こいつは馬鹿だ。
「仕方ないな。今から買いに行くのも骨が折れるし、今日は外で食べるとしよう」
「……はあ……そう……ですね」
「なんだ、そんなに俺に台所の掃除をさせたかったのか」
「う゛」
「……ふん、そんなことだろうと思った。ツメが甘いんだよ。いつまでも」
「……そもそも、貴方の失敗が元凶じゃないですか。怒られる筋合いはありませんよ」
「そうだな」
「え」
「……だから、別について来なくたっていいんだぜ」
 強く、一歩を踏み出した。油の足りない蝶番が軋み、悲鳴のような音を立てる。直後、乾いた夜風が頬をなでた。その一瞬の冷たさに、思わず首筋に手をやる。……暖めたくて。
「ま、待って下さいよ! ついていかなかったら、夕飯ナシになっちゃうじゃないですか!」
 ばたばたと慌ただしく、そいつは黒いマントをひっ掴んで走ってくる。その軽い足音を一度だけ振り向いて、確かめた。そして、前を向いた。
 追いついてくるまで、もう振り返らない。前をひたすら、歩いていく。
(サフィルス)
 心で問いかけた。
(お前、いつの間にそんなに強くなっていたんだ?)
 けして聞けない、問いかけ。今、お前は何を考えているだろう。
「……あなたは?」
「え?」
 予想より早く、サフィルスが追いついてきた。
「……私は、クリームシチューが食べたいんですけど」
「……勝手にしろ」
 あまりに純粋な、無邪気な、その視線。
 ――それはまるで出会った時の頃のよう。
 でも、違う。
 これは違う。
 今はあの頃でなく。ここは天でなく。過去は今でなく。未来もまた、現在でなく。約束は遠い彼方。誓いをした。「誰にも言わない」と。それを今になって、後悔する。
(脅迫してやれば、良かったな)
 知られたくなければ、服従しろと。そうすれば、こんな胸の痛みはなかったかもしれない。
 ……なんて考えを今の自分がしていることを、もしかしたらお前はもう知っているんだろうか?

 そんなはずはないけど。それこそ、あってはならないことだけど。
 空を見上げるとすでに紺色の雲が世界を覆い始めている。明かりが灯る。それを目指して、ふたり歩く。

 ただ、未来へと。

アーカイブ情報

[初出・底本]Apocripha/0 公式ファンブック ~ゆうきあずさの世界~

[発売元]スタジオDNA

[発売日]2014年12月24日

[改稿]底本より誤字脱字・慣用表現の修正

ゆうきあずさ

書き下ろしだったような、雑誌先行だったような。初出確認のできる資料が欲しいです。

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