「悪役令嬢と極道P」新連載のお知らせBlog

SS「Promise again.」

二 言いがかり(サフィルス)

 カツカツ、と固い靴音が鳴り、私の背後で止まる。振り向かなくてもわかる、既に耳慣れたその音の主。
「ジェイド」
「どうも、『初めまして』? サフィルス=ホーソン殿。今回、受かったのはどうやら私たちだけのようですね」
「そうなんですか」
「そうなんですよ」
 そして、ふわりと彼は黒髪をたなびかせ、花のように笑った。だから、思わず。
「痛っ! 足を踏むな!」
「……じゃあ、賭けは私の勝ちですよね。貴方、絶対に私『だけ』は受からないと言っていたでしょう」
「こ、こら。声が大きい! ……しばらくは他人の振りだと言っただろうが! どこに耳があるかわからないんだぞ」
「……こんな馬小屋のような建物にまで、奈落王の手が伸びるものですか。話がずいぶん違いますよね。ジェイド。仕官すれば、生活面は一気に向上するって言っていませんでしたか!?」
「……はあ、でしたねえ……予定は未定、ということですか……痛っ!」
「……まったく! 貴方の言葉を一欠片でも信用した私が愚かでしたよ!」
 再度ジェイドの足を大きく踏みつけて、あたりを見渡した。
 あちらこちらに埃の積もった、どこをどう見ても手入れのされていない、古い館。奈落城は遥か遠く、街ふたつほど離れている。
 側近の館、とはけして言えないこの距離を、どう言い訳できるだろう。
「……バレているんじゃないんですか」
「さあて、どうだろうね……」
 考え込むようにジェイドは唇を舐めた。課せられた使命を遂行するため、彼はその優秀な頭脳を使ってたくさんの可能性を探る。その姿を私は少し苛立ちながら見つめる。なぜなら、私はそうすることしかできないからだ。
 適材適所。……彼がすべてをやってくれると言うのなら、やらせておけばいいのだし……と思い始めたのはいつのことからだったろう。
「背中の傷はずいぶん隠したと思ったけどな」
「……結構、私たちも手荒な生き方をして来ましたからね」
「お前はただ不器用なだけだろう? 別につけんでいい傷までつけて。もう少し効率よくやれないものかね」
「私は、貴方とは違うので!」
「……あはは、そりゃそうだ」
「それで、バレた可能性は何割なんですか!? さっさと答えてくださいよ。場合によってはすぐにここを引き払って、再度潜らなくてはなりません。早ければ早い方がいい。……さあ、どうなんです」
「そう、がなるなよ。……ま、そうだな。可能性としては……」
 一呼吸、深く息を吸う。無意味に時を止めるような仕草が、ジェイドは多い。
「……五割、だな」
「な、それって」
「……要するに、わからんってことだ」
「……ななな、なんですってーー!」
「うわっ! だから、シーー!」
 さっき、たしなめられたにもかかわらず、思わず悲鳴に近い声をあげてしまった。けれど、引き下がれない。なんてことを言い出すのか、この『頭脳派』は。
「……役立たず」
「お前、最近生意気だぞ」
「役割を理解しただけです。少しぐらいきつく当たった方が、貴方相手には良い。……で、どうするんですか」
「何が」
「今度はどっちに賭けるんです? 次にミスったら、わかっていますよね?」
「……」
 奈落王の謁見の前、ジェイドは言った。「俺が十なら、お前は零だな」と。しかも「賭けに負けたら、夕飯をおごってやる」とまで。
 仕官のための、最後の接見。有用だと思わせられれば、使命を果たすまではもう一歩だ。だが、私と彼の能力の違いはあまりに大きく、彼は私が同じように上手くやれるだなんて、考えもしなかった様子で。それに私はまた傷つき、思いの外「上手く」やれた。
 存外の幸福。そして、存外な間違い。
 賭け事は得意だと普段から自負する彼の、久しぶりの間違いを、私は見逃してやる気はなかった。
「……わかった。決めた」
「そうですか」
「残る」
「え」
 ……思わず、彼の目をまっすぐに見つめた。
「意外だったのか?」
「そ、そんなことはありませんけど。た、ただいつもらしくないな、と思っただけです。貴方はいつも慎重に物事を運ぶ人だと思っていたもので」
「できるなら、そうしたいがな。……いつまでも生きていられるわけじゃないし。……ま、負けたら負けたでそれまでってことだ」
「……あ」
 フイ、と見つめた目を逸らされ、私は立ちつくす。
 ジェイドは言いたいことはもう終わったというばかりに、煤だらけの床におかれた荷物を取り上げた。
 今日は意外なことばかりだ。ジェイドが自分で自分の荷物を持つだなんて。いつもは私に適当に押しつけるくせに。少しは失態を反省しているのだろうか。負けず嫌いで、プライドの高いこの人が。
 だとしたら……ずいぶん未来は明るいのだけど。
「じゃあ、後はまかせたから」
「へ?」
「掃除洗濯はお前の担当分だろ。俺は俺の仕事を沢山したから、寝る。それじゃあな、お坊ちゃん」
「……えっ!?」
 また、大声をあげてしまう。ジロリと睨め付けられて、すぐさま口に手を当てた。けれど、すぐにそんなのは間違いだと気付いた。こんな理不尽なことがあるものか、と。
「ちょっと待って下さい! ジェイド! こ、この広い家を私ひとりで掃除しろって言うんですか!?」
「そう聞こえなかったのなら、ずいぶん耳が遠くなったんだな、お前」
「人を年寄りのように言わないで下さい! あああ、何サクサク階段上がっているんですか! 人の話を……」
「俺は頭脳派。お前は体力派。……できることを、お互いに。相互扶助って奴だろ、サフィルス殿?」
「う」
「屋上で寝ていますから。ベッドの用意が終わったら起こしにきて下さいね。……それでは、また」
 馬鹿丁寧に勝手なことをペラペラとまくしたて、ジェイドは軽快に錆びて黒ずんだ階段を駆け上がる。長い影は思わぬ早さで暗闇に消え、瞬きひとつの間に跡形もない。
 唖然として消えた闇の先をただあんぐりと私は見つめ……悩み……涙目になりながら。
 ……むせた。
「げほごほっ! く、口に埃が! ……ああああ、もう! 結局嫌がらせじゃないですか! こんなの!」
 五割の確率に賭けるだなんて、らしくない。ジェイドは失敗を嫌う。
 ……挫折を嫌う。だから、こんな屈辱は耐えられないに違いない。
(成功した、と思ったのに)
 存外の幸福。……私らしくない「よい出来」。
 奈落王の前で、私はひれ伏し、その実あたりをあまりにも静かに見渡した。礼儀作法も淀みなく、質問にも美しい答えを返し、賢そうな私を演出することができた。
 ひたすらにジェイドを真似、自分自身に言い聞かせ、演じる自分に酔おうとした。感覚的には長く、実際には短いその接見が終わりかけた頃、奈落王は言った。

「お前が一番、相応しいな」
「……はい? それは、お褒めの言葉と受け取ってよろしいのでしょうか」
「勿論だ。さっきのモノクルの男が一番かと思っていたが、今日は当りが多い」
「……ありがとうございます」
「最後に問おう。お前は、天使を殺せるか?」
 もちろん、その質問の答えは、ひとつ。文字の書き取りをするがごとく。
「奈落王、貴方の命あれば。どのような敵にでも立ち向かいます」

 ――そして、扉は閉ざされた。
 舞台が終わったのだ。一世一代の、ありえない名演技と共に。そしてもう、二度とは踊らない。開放されると思ったのに。
(……まだ、続くということですよね。これは)
 壊れた椅子。錆びた扉の蝶番。埃を極限まで吸い込んだ絨毯。黄ばんだソファ。天が透ける屋根。およそ場末の宿にすら劣る劣悪な環境。
 ――ジェイドだって予想外だったに違いない。だから、こんな子どもっぽい嫌がらせなど思いつくのだ。
 期待が大きかった。今までが今までだったから。これから先の未来が明るく開けていることを、私も彼も期待していたのかもしれない。少しだけ現実から目を背け、夢を見ていたのかもしれない。
「……まあ、でも。良いふうに考えれば、いちいち宿に金を払わなくて良くなったわけですし」
 無理矢理な理屈をひとりごちる。
 軍人として仕官したのだ。奈落王の側仕えとしては、恐らく最低の階級。ここからまたのし上がるためには、どれだけの戦いを、血を、痛みを越えなければならないのだろう。
 ……その遠さに、めまいがする。吹き抜けからこぼれる、まだ朝のぬくもる日差しに目を向けた。そこには青い、ただ青い空がある。
「……」
 息を小さく、吐いた。そして自分の荷物を古ぼけたソファにのせ、窓の端にひっかかっている、かつてはカーテンだったものを引き剥がす。
「相互扶助。……もちろん、そうですよね。……さて、始めましょうか。掃除洗濯」
 リズミカルに、真四角な布をひたすら切った。いくらあっても困ることなんてない。たとえ余ったとしても、先はどうせ長いのだから、いくらでも使いではあるのだ。
 雑巾は。

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